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懐かしい音楽が聞こえる

数字を見ないということ

件名:少しいい話をしたい人 宛先:あなた様 (2025/11/09 AMM9:58)

こんにちは、はんごうすいはんです。この日記を読む人はほとんどいないと思うので備忘録的に 自分の中で決めたルールと決めた理由を明文化しておきます。
・自分の数字を見てはいけない
創作をすることというのは、スポーツや楽器演奏とは同じところもあるけど、かなり違うこともあるというのは 周知の事実だと思いますが、自分は創作の競争性に対してすこし疑問を抱いていました。競争性はお互いの技術力 の上昇に良い影響をもたらすことは確かだと思いますが、弊害もあります。伸びない作品を作れなくなってしまうということです。 もしかしたら、リスナーの中には、伸びない作品を作らないのはいいことではないのかと思う人もいるかもしれませんが、 これはつまり、数字によって制作者が作品の方向性を報酬系的に制約されてしまう懸念があると思います。既存の流行の表現を分析し それを成功に練り上げ世に送り出すこともまた乙ではありますが、誰も見たことがない、素晴らしい作品を作るためには、必ず 誰も見たことがない、素晴らしくない作品から始めなくてはいけません。よく「誰もやっていない事は、うまくいかないからやっていない」 という言葉がありますが、実際にはうまくいかないかもしれないことをずっと続ける勇気が必要なんだと思います。 そのために、数字を見ないことは自分にとってしばらくは必要だと考えました。
・自分によせられる言葉(コメント)を見てはいけない
ここでいう言葉というのは、コメントの欄に書かれる内容や、自分の名前で検索して出てくる情報をさします。 多くの制作者にとって、これは励みになります。特に、初期~中堅程度では集団的な批判的な内容は本当に少ないことが多く (創作方法にもよりますが)、これは、ある意味で、危険だと思いました。まず、これを自分の作品についての普遍的で客観的な 情報と信じ込んでしまうこと、そして、批判されることにおびえて暮らさないといけないことです。批判は人気>技術となったら 必ず発生しますし、技術向上は線形的に上昇するのに対し、人気は指数関数的に上昇するので、状況が進むほど批判はされやすくなります。 そして、人気が増えると認知されている人のうち平均一人当たり熱量は減るというのが一般的です。つまり、数字が少ないうちにいかに 技術的に磨き上げ、人間的にも成熟した存在にならないと、先に数字がついてしまっては取り返しのつかないことになると考えました。
簡潔に言うと、成熟な技術向上と人間としての成熟、不要な批判への思慮を減らすために自分に向けられる言葉を見ません。
・自分の数字を予測してはいけない。
個人的に、数字の予測をする行為は数字を見ているのと遜色ないように感じます。自分の作品のこれは、品質的にこうだから、このぐらいの 再生回数をとれるだろうなどと考えることは、結果的に短期的な大衆への方向性に向かうことが懸念されるからです。それでは同じだから、 数字について考えることはしません。自分にとって最も現実的で、一番しっくりする数字は投稿する瞬間に表示される「1」であり、動画投稿サイトの 購読者数も、諸々のソーシャルネットワークサービスの数値に関しても、自分が数字を見るのをやめた日に見た最後の数字を信じ続けますし、 自分にとってそれが一番現実性(リアリティ)のある数字です。
特に、なにか数字を持ってしまってそれで言動や行動が変わるとき、人はそれに対して強い絶望感を抱きます。自分自身も、皮算用でおごる ようなことにはなりたくない、誠実な人になれるようになりたいです。
(裏返すと、今こちらは人間的に不足していて表面的な人間だということです。)
・作品を作ることをできるだけやめてはいけない。
自分は、作品創作者として使命を全うしたいと思っています。それは、仕事になっても趣味になっても構いません。すべての自分の行動は最終的に 創作につながり、自分で納得するものを作ることです。現在の歌愛ユキで作っている、少し死にたげな曲は、自分の中で満足しているものの、 これを続ける気はまったくありません。自分にとって最も大事なことは、なにかを初めて接触したときの感覚(クオリア)と、いままで何気なく存在したものに 焦点をあてることです。初めて日本列島を見たとき、その形を美しいと思いましたか。ひらがなの勉強し始めのときの、あの「あ」の書きずらさ、 初めて電車に、タクシーに、飛行機に乗った時のあの純粋なそのものの感想、きっと初めて電車を待った時、本当に何かが来るのかわからなくて、 体感ではまるで一時間のように感じました。(都会の地下鉄です。)そして、線路の奥側に書いてある「線路に転落したらホームへ、、」完成された 現代で、あの表示が本当に怖かった記憶があります。思い返せば、自分の幼少期の記憶は、ほとんど都市のデザイン性によって構成されていました。 エレベーターのドアに挟まってなく子供のシール、お風呂のふたに乗り溺れる子供のシール、おもちゃの箱にある、パックマンのような絵が四角形を食べる絵が 不気味で怖くて面白かったのです。それらは、原始時代の子供たちが初めてカバの群れや、バオバブの森を見るのと同じようだったと思えます。
こういう話は本当に長くなりそうなので、さすがに切り上げます。

   最後に、どうやって数字を見ずに投稿しているのかですが、twitterでは簡単です。おだやかツイッターという拡張機能を使用しています。これを使えば 全ての数字を非表示にできます。Youtubeやニコニコでは、冗談かと思うかもしれませんが、手で隠して投稿することにしています。 意外と投稿選択画面に直接数字が出ることは少なく、表示場所を手で隠して投稿することは簡単ではありませんが、できない事でもありません。 ただ重要なのは、薄目にすることです。薄目にすると視力が0.1ぐらいになるので、小さな数字は見えず、アイコンの形だけがわかります。 今までたくさん投稿してきたので、アイコンの形ぐらいは容易にわかるのです。ついでに、携帯電話のYoutube,twitter,discord,instagram,ニコニコ、、 諸々削除しました。携帯電話でYoutubeをみなくても、何も問題ないことに気が付きました。なぜなら、ChatGPTとGooglemapとDuolingoにスクリーンタイムが 映るだけでしたから、、、